[8] 「家庭の幸せのために」という名の僕と妻の犠牲で築かれた砂上の楼閣
みなさんこんにちは、AOYAMA STYLE(アオヤマスタイル)の青山遥(あおやまよう)です。
都内の総合病院などで理学療法士として勤務した後、2020年、練馬・豊島園の地でAOYAMA STYLE(開店当初の店名は「mamasalon aoyama(ママサォンアオヤマ)」でした)を開業しました。
今回は家庭人としての失敗の数々が、理学療法士としての僕を成長させてくれたことをお伝えするシリーズの第8回目です。
前回お話した中で、新米の親たちが、とりわけママが陥りがちな自己犠牲の問題がありました。これらの問題は夫婦どちらかの「善意」がきっかけで起きていることも多く、本当に根深いと思いますので、今回も引き続き取り上げたいと思います。
僕の”失敗”から、みなさんには学んでいただき、ハッピーな家庭を作っていただけたら、などと考えております。今回も最後までどうかお付き合いください!
すべてのコトを「子どもの将来のため」と言い訳した結果…
家庭人としての僕が変わったのは、妻が第一子を妊娠した時です。
妻の負担を少しでも減らしたくて、炊事、洗濯などの家事全般、そして子供の送り迎えまで率先してやってきました。
また、限られた収入を少しでも多く貯蓄に回そうとしていました。「これは将来の子供たちのためになるんだ」と信じ、欲しいものはひたすら我慢し、自分たちが日常生活で使えるお金をかなり制限していました。
それが親になる人間として、当然の行為だと信じこんでいたのです。
自分ができることはとにかく全て、とことん納得できるまでやりぬく。それが家庭の幸せにつながるとも思っていました。
そして……そうしている、そこまでできる僕自身のことが、どこか誇らしく感じていたのです。
でも結果として、わが青山家は幸せになったのでしょうか。
家族みんなが笑顔でいられるような、素敵な家庭が築けたのでしょうか。
残念ながら答えは「ノー」でした。
自分さえ頑張れば、自分ができることをやって、妻の負担を減らしてあげれば、「家庭は幸せになるんだ!」と家庭を守るヒーロー気取りでいたのですが、僕が
思い描いていたような家庭の幸せは手に入れられませんでした。
しかし「一体、何が間違っていたのか」……当時の自分には全く分かりませんでした。
『幸せですか?』と誰かに聞かれたら、もちろん幸せです!
といえるはずではあったのですが、「何かがおかしい」とも心の底では感じていました。
「幸せ」なんだけど、何かにいつも追われているような感覚がありました。
その「何か」の正体に気づけたのが、僕がぎっくり腰で2週間入院した時のことでした。入院中、ベッドで寝たきりになった僕は、色々と考えました。この自問自答の時間は、本当に貴重でした。
幸せなはずなのに、どこかで本当はそうとは言い切れない”何か”……つまり強い違和感があったという事実。
普段なら忙しさにかまけて、直視しなかった違和感の数々を、ほかになにもすることがない病院のベッドの上で噛み砕いて理解しようと頑張りました。
そこで見えてきたのは、
『僕と妻の犠牲の上に、”家庭の幸せ”が築かれていた』
ということ。
そして、
『そうした自己犠牲を僕自身が美徳だと感じており、その美徳を子供たちや妻にも強要していた』
ということです。
『俺もこれだけ我慢してるんだから、みんなも我慢しろよ』と命令しているのに等しい行為を、僕は繰り返していました。
子供はワガママをいうものです。子供が「保育園に行きたくない~!」とグズっても「パパも我慢して仕事に行ってるんだから、君たちも嫌なことがあっても我慢して通園しなさい」。
妻に欲しいものがあっても「俺だってホントは欲しいものがあるのに、我慢してるんだ。君も我慢してください」。
「欲しいもの」を「やりたいこと」に置き換えてもOKです。同じように僕自身が我慢しているのだから、家族みんな我慢するべきだと思っていたのでした。
今考えると、この時の自分はもう「最低野郎」というしかありません。
実際は、こういうきつい言葉を口に出している訳ではないのです。でも、そういう空気を僕が作っていたことは事実です。妻や子どもたちの本当の気持ちをちゃんと聞こうともせず、圧をかけ、無理やり従わせようとしていたのでした。
我慢を重ねるのが日常で、その範囲の中で与えられる自由の中に、自分で幸せを見出しなさい……なんて言っているに等しい僕の態度。
今なら「何様のつもりですか?」……みたいな感じですよね。青山家の家計で動かせるお金には限界があり、妻にも「欲しい物なら何でも買えば……」などとは言ってあげることができません。重大な理由もないのに、「幼稚園に行きたくない~!」という子どもをいつまでも家に置いておいてよいわけでもありません。
でも、家族の本当の気持ちを知ろうともせず、ただ「我慢してください」と無言の圧をかけ続けたのは絶対に「違うよな」、と。
だから自分の中には、幸せな家庭を営んでいるつもりで、なにか、どこか違和感があったのでした。
でも、入院して自問自答を繰り返すまで、それに気づくことさえ避けていたのかな、と思い至りました。少なからずショックでしたが、それでも気づけたことは本当に良かったと思っています。
何が正しいのか?!禅問答の沼へ…
退院してから、自分の意識と行動が変わりました。読者の方はすでに気づいていると思いますが、
『本当の幸せってなんだろう』
そんなことばっかり考えて僕は生活してきました。古い言葉でいうと、自問自答を繰り返していることを「禅問答」と呼ぶそうです。しかし、自分の心にいくら問いかけても、未熟な自分が答えているかぎり、正しい答えにはたどり着きにくいものですけれどね。
「禅問答」の沼にハマってくると、
- 妻と子供達の幸せってなんだろう
- というか、家族とはいえ、自分以外だから他人。他人の幸せって俺が定義していいのかしら……
- そもそも本当の幸せってなに?
- 俺の幸せって本当はなに?
- なんで自分は生まれてきたのかしら……
などなど。
自分の生まれた意味を自問自答している時点で、そうとうヤバい気もするのですが、何も考えていないよりはマシだよ、なんて当時は思っていました。
ぎっくり腰が治って退院した後は「何が僕たち家族の本質的な幸せなのか」をダイレクトに考えられるようになりました。妻や子どもたちとも本当の意味で向かい合うようになれました。
また、今までの自分のものの考え方や、ものの見かたのクセに気づき、それらを矯正していく中で、これまでも何回かお話させていただいたように、
『妻が笑顔だと家の雰囲気いいよね。そもそも』
という実にシンプルな真実を発見しました。「今更かよ」って感じではありますが(笑)、僕は結婚後3年間も真実に気づけなかったのです。
だからこれまでは、「ママをハッピーにすることで、すべて家庭を幸せにできる!」というテーマだけをお話してきました。
そしてそういうご家庭は、日本全国に案外多くあるのではないか……。
男性以上に、出産以前はおろか、出産後も育児でママの心や身体は大変なのですから。
だからこそ、『まずはママから幸せに』という(ママサロン開業の)思想につながってくるんですね。
それ、本当に何度も聞いたよ! と読者の中にはお感じの方もおられるかもしれません。
しかし、今日はもう少し、大事な僕の”気づき”に触れておきたく思いまして。
理学療法士としてできることが「幸せ」につながる?!
これまた僕自身が過去の自分の言動を掘り下げて考えることで、得た真実の話なのですが…相手の本音を聞こうともせず、自分も本当は浅くしか考えられていない”幸せ”を家族にも強要している。この時点で、過去の僕自身は「自分の幸せ」というものさえ本当には理解していなかったと思うのです。
自分の幸せは自分にしかわからないものですし、それを相手に強要してもなんの意味もないんです。
それが分かっていないから、分かろうとさえしていないからこそ、相手に干渉したがるし、それで自分の空虚な心の隙間を埋めようとしていたのです。少なくとも僕の場合は。
一番の問題は、自分というものが、僕には根源的にわかっていなかったからでしょうね。
結婚した後は「よき夫になりたい」と願うようになり、妻が最初の妊娠をした時には「よき父親にならなければならない」と家庭・家族への想いが強まり、過剰な責任感やら、不安やら、そういう感情まで絡まってきて、いつしか暴走してしまっていたのも自分がちゃんと確立できていなかったから。
夫や父親である前に、「青山遥、君は一体何者なんだ?」、その問いには答えられなかった気がします。
それはつまり、この世界で自分が立つべき位置を深く理解できていなかったことも意味しています。
これらの痛い真実に気づいてからは、いっそう色々な本を読みました。色々なセミナーにも参加しました。色々な方とお話しもさせていただきました。
そして、僕の幸せとは何かを定義してくれるキーワードにたどり着きました。
それは
『健康』
でした。
もちろん、仕事の成果としてお金も欲しいと思うし、ママ=妻の幸せだって大事です。
自分の健康、家族の健康だけでなく、理学療法士としてみなさんの健康に奉仕することで、本当の意味で自分は幸せを感じられるし、それが周囲にも自然な形で及んでいくのだと気づけたのでした。
理学療法士とは僕にとっては生計を立てる手段に終わらず、自分のすべての面で、理学療法士として生きている存在なんだな、ということでもあります。
理学療法士としてママサロンアオヤマに携わり、地域の健康に微力を尽くしたい。それが私という人間のベースであり、幸福にも結びついているのです。
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