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[9] 何もしなければ「明日」は「今日」と同じまま <挫折とサロン開業の契機>

みなさんこんにちは、AOYAMA STYLE(アオヤマスタイル)の青山遥(あおやまよう)です。

都内の総合病院などで理学療法士として勤務した後、2020年、練馬・豊島園の地でAOYAMA STYLE(当初の店名は「mamasalon aoyama(ママサロンアオヤマ)」でした)を開業しました。

家庭人としての失敗の数々が、理学療法士としての僕を成長させてくれたことをお伝えしていますが、何もそんなことをわざわざ語らなくても良いのでは? ……と思う方もおられると思います。

たしかに他の整体・整骨のサロン、独立した理学療法士の施設で、院長の思いがここまで熱心に語られているのは僕自身も、あまり目にしたことがありません(笑)。

しかし、わがサロンは開業当初のママサロンというその名のとおり「ママを中心とした、みなさんの家庭の幸せに微力ながら貢献したい!」という僕の考え……もっというとスピリットがあって生まれた場所なのです。サロンに通ってこられる中にはママだけでなく、パパの方も増えました(当サロンは「ママサロン」という名前で始まりましたが、老若男女を歓迎しています)。

ママにはママの、パパにはパパ特有の心身の悩みがあるのです。悩みは人それぞれですが、悩んだ経験があるのは3児のパパである僕と同じです。僕の経験をお話することで、解決の手がかりになるかもしれないという思いもあるのです。

ということで、今回は最初の息子が生まれ、パパになったばかりの僕が感じたことをお話したいと思います!

前回まででお話したとおり、最初に子どもを授かった時、僕の中は嬉しさでいっぱいになった反面、過剰な責任感をも膨らませてしまいました。

前回の記事
[8] 僕と妻の犠牲の上に築かれた「家庭の幸せのために」という名の砂上の楼閣

家族や妻の幸せを何より大事にしようとして、逆に失敗したのです。自分の幸せとは何かもロクにわかっていない、そんな未熟な自分が考えた幸せのイメージを、家族に押し付け、我慢させてしまったのでした。

その反省から僕は「自分自身の幸せとは何か」をまじめに考えるようになりました。

自分の幸せ……たしかに漠然としています。

「親なんだから、自分の幸せなんてとにかく我慢しなくちゃ」などと当初は思っていた僕ですが、本当に幸せな家庭が、誰かの犠牲の上に成り立っていてよいわけもありません。僕自身が、家族を幸福にするために自己犠牲しているのはよくないのです。その頃は、ほとんど自覚すらできていませんでしたが……。

今回は当時の僕が感じていた仕事上の悩み、家庭の停滞、そしてそこからの脱出についてお話してみようかと思います。

患者さんへの効果も期待できない望まれぬ仕事での挫折

当時は病院勤務での多くの葛藤を感じていた時期にあたります。

前回まででお話したとおり、僕はある都内の総合病医院で、理学療法士として長年、仕事をしていました。内科病棟、回復期リハビリテーション病棟、在宅リハビリ(訪問リハビリ)と各セクションで3年ずつ勤務し、最後は地域包括ケア病棟と、外来リハビリに従事することになったのです。

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[3]【訪問リハビリ勤務時代】高頻度で慢性的な施術は「健康でありつづけたい」という自立心を妨げる
[4]【地域包括ケア病棟編】医療保険の限界が「本当に自分がやりたい仕事」発見の契機に

地域包括ケア病棟の存在意義に文句をいいたいのではありません。

ただ……例えば、以前もお話したように、地域包括ケア病棟には、リハビリが適応しうる疾患ではないけれど、患者さんのご家族のリハビリ希望があって入院してくるようなケースが頻繁にあるのです。

鋭い方はもうお気づきだと思いますが、とりあえずリハビリ入院という名目で患者さんに家から出ていってもらうことをご家族が望んだ結果ともいえます。

どんな形にせよ、理学療法士として必要とされたのであれば、自分にできる限りのことをして、患者さんの声に応える義務があります。病状によって患者さんを選んで良いわけもありません

しかし……地域包括ケア病棟に勤務するうち、病院における自分の役割が曖昧になってきたとも感じていました。どんな仕事にも「つらさ」はあるのですが、僕は地域包括ケア病棟で本当は望まれてもいないし、したところで効果も期待できないリハビリを続けることに疲れはててしまったのです。報われない感覚というか……。これは想像以上につらいものがありました。

この頃から、本当は病院の外に出て、理学療法士としての自分の希望を満たせる仕事を見つけたいと思っていました。

しかし、長年勤めた病院を辞めるのは怖いですし、安定した収入を得つづけるために病院で働くことを『我慢』せざるをえない、と信じてしまっていたのです。これが、僕が第一子を授かった頃の話です。

「俺がんばってる」という自己満足

病院での貢献度もあまり感じられなくなっていたので、どこかで自分の本当の居場所というか、『俺って役に立ってるだろ』と感じられる場所を探していたのだと思います。

それが、当時の僕の場合、自分の家庭であったり、育児だったりしたのです。

つまり、「家庭の幸せ」とか口先では言ってはいたものの、実は「自分を誇れるための居場所」を作ろうとしていただけだったのかもしれません。

これは、アドラー心理学でいうところの『依存』でもあるし、『干渉』だったかな、と思われます。当時から僕はいろいろな本を読むことで、自分の疑問への”解答”を探していました。

結局、本当の自分がやりたいことがあるのにやれていなかったので、その不満やストレスを表向きは『家庭の幸せのために』という公明正大な名目で隠し、奥さんや子供たちに『過干渉』することで、自分を保っていたのかもしれません。

それに気づいた時はショックでした。しかし、「まずは自分が自分らしく、自立できている存在にならければ……!」とも思えたので、アドラー心理学の本に出会えたことや、それを実践できたことはよかったです。

かつての僕のようなパパさん、たとえば自分自身の生きがいを家族に求め、家族に『依存』し、『過干渉』してしまうパパさんって結構いるのではないかと感じています。

頭ではそこまで明確には理解していないけど、結果として、そうなってしまっているパパ。

毎朝イヤイヤ早く起きて、満員電車に揺られて会社に行く。やりたくもない仕事をして、帰宅する頃には家族のみんなは寝ている。

『一体何のために働いているんだろう……』

と自分に問いかけます。

『そうだ。家族のため。家族のために俺は頑張っている』

という答えが自分の奥底から返ってくるでしょう。

でもこの定番すぎる考え方には、とても危ういものが含まれていると僕は感じます。

美談の裏にある「落とし穴」

坂本九という昭和の歌手に『明日があるさ』というヒットソングがあります。ご存知ですか? コーヒーのCMでも使われていたので、メロディを聞けば、思い出す人も多いのでは。

でも明日、明日といって、そこに希望があるような気がしても、具体的な行動を起こさないかぎり、明日は今日と同じままなのです。厳しい言い方ですが、問題の無責任な先送りですね。美談と思える、よくあるストーリーには「落とし穴」がありがちです。

これまでも何度かお話しましたが、これが自己犠牲による負のスパイラルの始まりともいえるからです。

僕がその後、どうしたかというと、病院を辞めて、サロンを開くことになりました。妻には迷惑もかけたと思いますが、僕自身が幸福になれる生き方が、家族の幸福にもつながっている状態こそベストなんだと考えるようになれました。

その結果、1周ぐるっと回るような形になりましたが「まずはママから幸せに」という結論に「戻る」ことになったのです。

しかし……実際問題として、社会や家庭での自分の居場所……自分だけでなく家族も養っていけるだけの収入を得て、生きがいを感じられる仕事もこなすことの両立は、キレイごとだけでは片付けられない、本当に難しい問題です。

今の仕事にやりがいは感じられなくても、それを辞めることができない人も絶対にいるわけです。これは良い・悪いの問題でもないと思います。

「会社やめて独立すれば人生ハッピーになるんだよ!」などと短絡的な解決策を言ってしまってはダメなんですね。

僕自身は、病院をやめて、本当にやりたいことをサロン(アオヤマスタイル)でやりながら、家庭の幸せにも貢献するといった形で自分の幸せを追求し、自分の後ろ姿で語ることできれば、いちばんカッコいいかなぁ……などと思っていますが(笑)。

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